幾徳工業高等専門学校中退、東洋大学文学部哲学科を卒業後、コンピュータ会社のプログラマー、バンドのキーボード奏者、生協のレジ打ち、庭師などを経て、1984年、飴屋法水の誘いを受け劇団東京グランギニョルの旗揚げ公演に参加29歳で俳優となる。 入団時、座長の飴屋から芸名の命名にあたり、共に風貌が似ているとの理由からハワード?フィリップス?ラヴクラフトに因む「ラヴクラフト嶋田」と、夢野久作に因む「嶋田久作」を提示され、後者を選択したという。 劇団は当時の小劇場の中にあって異質な存在として耳目を集めるも、1986年、4作品を残して解散。しかし、この劇団が『帝都物語/ガラチア』を上演した際に嶋田の演技が関係者の目にとまり、同名作品の映画化に当たって抜擢を受ける事となった。 1988年、『帝都物語』の魔人、加藤保憲役で映画に初出演。原作者の荒俣宏は同作を文庫化する際、加藤の容貌を嶋田本人に似せて書き直している。またメガホンを取った実相寺昭雄からは以後常連として遇されたほか、岡本喜八、市川準、滝田洋二郎、大林宣彦ら斯界の大物から相次いで起用を受け、遅咲きながら短期間で異色俳優としての地位を固めた。